スロウ、メロウ。

ゆっくりと、熟れう。こころにうつりゆくよしなしごとを。
ゆっくりと、熟れう。
こころにうつりゆくよしなしごとを。
夜雨

夜雨

雨の日なのをいいことに、毛布にくるまって、随分と昔にノートに書き溜めた言葉を読み返している。煮詰め過ぎたコーヒーみたいな味がして、その拙さに思わず眉間に皺がよってしまう。
仕方ないな、しょうがない。そうやって見つめていくしかない。

秦さんのドキュメンタリーを久しぶりに聴いている。もう10年も前なのかと驚いて、自分の好みの変わらなさに少し笑ってしまう。このあとは水彩の月にしよう。きっと好きなままなんだろうなぁ。海の幽霊も聴こう。そうしよう。

見てきたもの、書いたもの、好きだったもの、好きなもの。そういうところに自分の中心をきちんと身を埋めていないと、遠慮や憚りみたいなプラス感情に潰されてしまいそうになったりする。
私は、私じゃないか。
私の言葉は、私のものじゃないか。
私の好き嫌いは、私のものじゃないか。
私のフィルタを通してでしか、世界は見えないじゃないか。

正しさとか、普通とか、日常でなんとはなしに使っている言葉を、くしゃくしゃに丸めて放り出してしまいたくなる。
腹立たしさ、悔しさ、虚しさ。自分へのそんな感情を、どうにかして昇華したくて。言葉はいつだって足りないと嘆きながら。
それでも嘘をつきたくない、と、ノートの中の私が吠えている。

大切なことは言葉にならない、そんな歌を聴きながら。
春のほころんだぬくもりと厳しさを、夏の真っ直ぐな光と浮かび上がる影を。
この切なさを、この苛立ちを、この哀しさを、この喜びを、この幸せを。
あらわす言葉を尽くしてしまうのだろう。
ふちどる容れものを、探してしまうのだろう。

そんなことを考える。

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